東京都美術館 〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36 |
アメリカを代表する美の殿堂、メトロポリタン美術館の素晴らしいエジプト・コレクション約3万点から“女性”をテーマに約200点を厳選したもので、そのすべてが日本初公開となります。
古代エジプトの王妃、王女像や女神像、王族の装身具に、王家の人々に愛用された日用品や副葬品として使われた化粧道具、王家の女性の顔をかたちどったカノポス容器などのメトロポリタン美術館を代表する作品から、来世における永遠の幸せを願った王家の人々の死生観に迫ります。 |
展覧会会期: 2014 7/19(土)~ 9/23(火・祝) 巡回展は終了しました。 開室時間: 9:30~17:30(金曜日と8月12日~17日は21:00まで) ※入室は閉室の30分前まで 休室日: 月曜日(ただし9月15・22日は開室。 9月16日は閉室) 会場: 東京都美術館・企画展示室 (上野公園内) 巡回展:2014 10/13~2015 1/12 会場:神戸市博物館 |
展覧会のみどころ 1. メトロポリタン美術館エジプト・コレクションから至宝約200点を日本初公開! 2. 謎のベールに包まれた女王ハトシェプストに迫る…古代エジプト史上、最も重要な女性ファラオとして知られる女王ハトシェプスト。 3. 古代の女神たちが一堂に…美と愛と豊穣を司るハトホル、戦争と平和を司るセクメトなど、古代エジプト人から篤い信仰を受けた女神たちにまつわる品々が勢ぞろいします。 4.アクセサリーやメイク道具も…王家の女性たちを彩った豪華な装身具や化粧道具は、現代にも通じるデザイン性に溢れています。 |
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メトロポリタン美術館 古代エジプト展 「女王と女神」 プレス内覧会 東京都美術館 '2014 7_18 |
「展示構成」 ―メトロポリタン美術館 古代エジプト展「女王と女神」図録、PRESS RELEASE よりの抜粋文です―
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本展は、メトロポリタン美術館のエジプト・コレクションから、“女性”をテーマに厳選された至宝約200点を日本初公開します。 古代エジプト史において最も重要な女性ファラオとして知られる女王ハトシェプストにまつわる品々や、愛と豊穣を司るハトホルをはじめ当時の人々から篤い信仰を集めた女神たちの像やレリーフ。
また、王家の女性たちを美しく彩った豪華な装身具、現代にも通じるデザイン性に溢れた化粧道具なども紹介します。
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「本展の構成」
第1章 ファラオになった女王 ハトシェプスト 第2章 愛と美の女神 ハトホル 第3章 信仰された女神たち 第4章 王妃、王女たち 第5章 王族の装身具 第6章 王族の化粧道具 第7章 来世への信仰 |
第1章 ファラオになった女王 ハトシェプスト
ハトシェプストはトトメス1世と第一王妃イアフメスの娘してして生まれた。 エジプトの王にはしばしば複数の妃がいたが、正妃である第一王妃の子どもたちは一番高い地位を得ていたために、ハトシェプストも特権的な立場にいた。 王が亡くなると、その長男が王位を継承す習わしだった。 しかし時に、女性が統治者にならざる得ない事態も発生した。 ・ 《ひざまずくハトシェプスト女王像》 新王国時代、第18王朝、ハトシェプスト女王とトトメス3世の共同統治治世、前1473-前1458年頃 / 花崗岩 / 高さ61.6 x 幅32.5 x 奥行51.5cm メトロポリタン美術館の発掘(1922-1923年) ファラオの象徴である頭巾をかぶり、付け髭をつけた若い男性の姿で表されている。 この頭巾はカートと呼ばれ、統治者を守護するコブラの女神の象徴ウラエウスがついている。 |
第2章 愛と美の女神 ハトホル―ハトホル女神
ハトホルは、古代エジプト人が抱く曲型的な女性像が反映された女神で、 天空の神ホルスを守り、育てる役割を担った。 ファラオはこのホルス神の生まれ変わりだと考えられた。 母性の象徴として、多産で子を養う雌牛の姿で信仰される一方、シナイ半島ではトルコ石を産出する鉱山の守護神として崇拝されていた。 ・ 《牛の女神像の頭部》 新王国時代、第18王朝、アメンヘテプ3世の治世、前1390-前1352年頃 / 花崗閃緑岩 / 高さ50.8cm アメンヘテプ3世の葬祭殿に捧げられた女神像の一つとされる。 愛と美の女神ハトホル、もしくは原初の海から生まれ、太陽に息吹を与えたメヘトウェレト女神を表している。 |
第3章 信仰された女神たち―女神たち
すべての女神が出産や母性といった女性特有のことがらではなく、それぞれに特徴づけられた役割があった。 女性的な役割を表している女神、死を受け入れるための人間の探求を象徴する女神、自然の威力を表す女神、侵略と、それに対する防衛を表す女神、神格化された知的概念の女神などある。 ・ 《ネイト女神の小像》 末期王朝時代、第26王朝、前664-前525年頃 / 銅合金 / 高さ24.8 x 幅5 x 奥行7.7cm ネイトは軍神かつ母なる女神であり、特に下エジプトで篤く信仰された。 女神の信仰の中心であるサイスに遷都した第26王朝になると、その重要性は最も増したとされる。 |
第4章 王妃、王女たち―王家の女性たち
「王の偉大な妻」 が持つ権力は、王自身の権力によって左右されるものだったが、彼女の存在はエジプトの国家組織の中で、特権のある儀式的な役割を占めていた。 今日、女性のファラオとして最もよく知られているのはネフェルゥソベク女王とハトシェプスト女王である。 ・ 中央 《アクエンアテン王とネフェルティティ王妃のゴブレット》 新王国時代、第18王朝、アマルナ時代、アメンヘテプ4世(アクエンアテン王)の治世、 前1352-前1336年頃 / エジプト・アラバスタ―(トラヴァーチン) ロータスの形を模した杯に、「ペト」 という天を意味する横長のヒエログリフの下に、アテン神、アメンヘテプ4世とその妃ネフェルティティの名前が刻まれている。 第18王朝では優品が多く作られたが、中でも美しさが際立っ杯。 |
第5章 王族の装身具
地位を象徴する装身具の中でも、冠はファラオの第一王妃としての特別な役割を示すものだった。 加えて、儀式や来世において正装とされる襟飾り、カフブレスレット、アンクレットなどをまとった。 王妃のミイラに関しては、来世で使うためだけに作られた薄い金の装身具をあてがわれている場合もあった。 ・ 《二つのガゼルの頭がついた冠》 新王国時代、第18王朝、 トトメス3世の治世、前1479-前1425年頃 / 金、紅玉髄、ガラス / 長さ48 x 幅3cm トトメス3世の三人の外国人の妻の墓 ガゼルがついた冠は新王国時代に見られた。 冠は王妃の正装の一部だったが、特にこのタイプは後宮の王妃たちがハトホル女神のための儀式の際にかぶっていたようだ。 |
第6章 王族の化粧道具
現世における女神の生まれ変わりとされる王妃は、性的な魅力が最重要だったために、1日に3回は念入りに身だしなみを整えたという。 王妃たちは、化粧品を美しい細工が施された石や木、骨、象牙、ファイアンスやガラスなどを使った、豪奢な容器に入れて保存したと思われる。 ・ 左下梨状壺 《ハトシェプストの王妃としての名が刻まれた梨状壺》 新王国時代、第18王朝、トトメス2世の治世からトトメス3世の治世の7年目、 前1492-前1473年頃 / エジプト・アラバスタ―(トラヴァーチン) 梨状壺の内側には香油の一種と思われる残留物の層が残っている。 空を示すしるしの下に、「神の妻、王が寵愛する偉大な妻、二つの国の女主人、ハトシェプスト、彼女が生きますように!」 という2行の銘文が縦に刻まれている。 |
第7章 来世への信仰―埋葬と死生観
古代エジプト人にとって、死は生命の終わりではなく、来世で人生が続くための一時的な移行段階と考えられていた。 永遠の生命は、現世での正しい行いに加えて、体の保存(ミイラ化)や副葬品、儀式、永続的な供養を含む埋葬の準備が整えられることによって約束されるものだった。 ・ 《カノポス容器》 第3中間期、第25王朝、前712-前664年頃 / 石灰岩 メトロポリタン美術館の発掘(1914-1915年) カノポス容器は本来、ミイラ作りの過程で取り除いた死者の内臓を保管するためのものだが、これらの空洞は小さく保存用には適さない。 中は空でも、守護神にそれぞれの臓器を保護してもらうために副葬されたのだろう。 |
「ジェセル・ジェセルゥ」 と呼ばれる
―ハトシェプスト女王葬祭殿― |
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展示会場で上映している映像より 《ハトシェプスト女王葬祭殿》
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ハトシェプスト女王が高さ100メートルにおよぶ砂漠の崖を背景に、3段にわたるテラス式の巨大葬祭殿を建設したのは、ナイル川西岸のかつてのエジプト南部の首都テーベにあたり、カルナック大神殿を中心にアメン神が祀られた場所である。
「ジェセル・ジェセルゥ(最も神聖な場所)」 と名付けられたハトシェプスト女王葬祭殿には、アメン神、太陽神ラ―、ミイラ作りの神アヌビス、そして何世紀にもわたりこの地方で信仰されてきたハトホル女神といった神々を祀るための礼拝堂も造られた。
ジェセル・ジェセルゥの主神はアメンであり、アメン神礼拝堂は葬祭殿の中核を担っていた。 毎年行われる 「谷の美しい祭り」 では、カルナック大神殿のアメン神像が聖船に乗せられ、ナイル川を渡って葬祭殿まで運ばれた。
ジェセル・ジェセルゥはアメン神の休息所となり、葬祭殿を飾る花崗岩製のハトシェプスト女王像は神への祈りに参加していると考えられた。
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ハトシェプスト女王は、エジプトの偉大な軍人王の一人に数えられるトトメス1世(在位:前1504-前1492年頃)の娘として生まれ、異母兄弟トトメス2世(在位:前1492-前1479年頃)と結婚するが、トトメス2世は、別の妻との間に生まれた息子トトメス3世(在位:前1479-前1425年頃)がまだ幼いうちに死去した。
古代エジプトで繰り返された慣習に従い、優れた血統を引く王家の女性として、また、王の母に代わる役割を担う伯母としての立場から、ハトシェプストは幼い甥の摂政となった(前1479-前1473年頃)。 たぐいまれな政治的洞察力と気骨を備えた彼女は程なくして王位に就き、名目上はトトメス3世との共同統治の形をとったが、実質的には15年間に渡って全権力を掌握した(前1473-前1458年頃)。
ハトシェプスト女王がその後のエジプト文化に与えた最も大きな影響は、神々への奉仕に使われた美術と建築を、高度な水準にまで引き上げた点にある。 「ジェセル・ジェセルゥ(最も神聖な場所)」と呼ばれるディール・エル・バハリの葬祭殿は、最も優れた古代記念建造物の一つである。
工事は 「アメン神の執事」、「事業監督者」 と呼ばれる女王の側近センエンムゥトが監督したとも言われるが、ハトシェプスト女王がが自ら神殿計画に関与していたことに疑いの余地は無く、その着想からして彼女のものだったとも考えられる。 |
お問合せTel:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
公式サイト:http://www.met-egypt2014.jp 主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、 メトロポリタン美術館、朝日新聞社、TBS 特別助成:アメリカ合衆国大使館 後援:外務省、文化庁 協賛:東レ、丸紅、竹中工務店、凸版印刷 協力:日本航空 |
参考資料:メトロポリタン美術館 古代エジプト展「女王と女神」図録、PRESS RELEASE 他。 |
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